ふうが家にきた経緯は、りんが亡くなった時に記録したのと全く同じ(
■)。

(右端がふう。その横が りん)

これはウチに来て間もない頃。
りん以上に人見知りで、人が来ると"幻の猫"っぷりがすごかったふう。
とーちゃんが大好きでとーちゃんの膝にばかり乗って、とーちゃんのことをよくジーッと見つめてたっけな。
基本おとなしくて、りんや茶に比べて目立った行動もなく。
若い頃に尿に結晶がでたりして、ほぼ生涯ずっと療法食を食べていた。(でもむしろ療法食のカリカリが大好きだった)
幻の猫と言われたふうだけど、子どもに否応なく慣らされたのがキッカケか?!、晩年は誰が来てもスリスリして膝に乗る懐っこい猫に変身。
特に茶が亡くなってからの1年はその傾向が強く、そして…何度か書いたけど、2匹を探すような仕草で遠吠えのような鳴き方をよくしていた。
やっぱり寂しかったよねえ。
この1年はどんどんと寝る時間が増え、ご飯以外ではほとんど寝てたんじゃないか、って感じだった。
少し前に病院で健診を受けた時は、腎臓の数値が少し悪くなってるってことで…サプリを飲んだりしていたけど、食欲は旺盛。
寝る時間が増えた以外は年寄りなりに?元気だった。
それが、先月終わりにパタッと食べなくなり…そこからあれよあれよという間に弱っていった。
病院の検査では、茶の時よりも腎臓の数値は悪くなっていた。
一週間前の今日。
前日に病院で点滴をうけ、針なし注射器であげられる流動食をもらって帰宅。
それで夜も朝も吐き出すことはなく、少しだけ栄養は摂っていた。
あ、そうそう、去年の茶の時にはまだ出てなかったと言う、腎臓に直接効く新薬も飲ませていた
。(茶の時は腎臓に直接効く薬はないって言われてた。あ、腎臓病用の流動食も茶の時は発売されてなかった)この日、ほぼ寝たきり状態だったけどちゃんと意識はあり、まさか日中に逝ってしまうなんて思いもせずに仕事に出てしまった。
前述の、茶の時にはなかった薬や流動食で少し安心しちゃってたのかも。
今夜の様子次第では明日は会社休もうかな、なんて思いつつ。
家の中を見られるモニターを設置してるので、仕事中もたまに見て気にしつつ…午前中の早い時間には、頭を少し動かしたり手がちょっと動いてるのが見えた。
が、その後動きはなく…
でも何となく、ただ寝てるだけだと思っていた。
繰り返すけど、まさかこの日の日中にとは思っていなかったので。
兄さんが学校から帰ってきた時には、ふうはすでに息を引き取っていた。
たまたまモニターで見た動いた時が最期だったのか?その後もそのまましばらく生きていたのか?
それはわからない。
苦しんだりしている様子はなかったけど…
ひとりぼっちで逝かせてしまった。
それが何よりの心残り。
りんはとーちゃんが、茶は母が看取ったのに。
きっと一生、思い出しては後悔するだろうな。
ふうがどう思うかとかではなく、自分自身の気持ちの問題でね。

(11月に撮った一番新しい写真)
あの日、兄さんは嗚咽しながら電話をかけてきた。ふう、もう息してない、と。
あっちゅんは夜、声をあげて号泣した。
でも子どもの立ち直りは早い。
そして、そんな子どもたちの日常に振り回されてる大人も悲しみに浸る暇なし。
ただ、この1年ずっとソファーの左端が定位置だったふうが、朝起きたり出かけて帰ってきたりすると必ずニャーニャー鳴いてたふうがいないってのを、朝起きるたび、帰るたびに実感して切なくなる。ついソファーの左端に目をやってしまう。
3匹が2匹になった時も、そして2匹が1匹になった時もそりゃあ寂しかったけど、1匹もいなくなっちゃうってのは…
相当な喪失感。

でもきっと、ふうはホッとしている気がする。
1匹寂しく、ほとんど寝たきりで、調子も良くない状態で長生きするよりは…りん&茶と虹の橋で遊んでた方がいいもんね。
本当に虹の橋があって、3匹が再会して、心穏やかに過ごしていることを想像すると少しだけ喪失感も和らぐね。
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